生ノ物【ヒト】

かとうちあき

野に宿るようなもの

旅と野宿
なんと早くも中学の頃から自分はお金を稼げるタイプの人間じゃないと、うすうす感じていた かとうさん。お金じゃない価値をもとめた先に旅と野宿があった。
もうかれこれ数百回の野宿経験をもつ。でも決してストイックではないし人に迷惑がかかるような無茶苦茶な行動ではない。うまく周りと折り合いをつけながら(かわいがられながら)何が起こるかわからないワクワク感を最大限楽しむ天才だ。

野宿した朝は起きるたびに「ああ朝だあ〜」と毎回フレッシュな感覚で迎えられるのが至福の時と語る。後ろめたさはないわけではないがそれが気にならないほどの特別な時間に出会える。許されるならどこでも寝れる自由さ。まだ見ぬ風景と感覚に出会える手段。
そういう意味では日本にも世界にも自分の身の回りでさえも、まだまだ知らない景色がわんさか落ちているのだ。

のようなもの
高校時代から気になったらすぐ行動を起こし取材しものを書いたりつくったり発信してきたかとうさんは動かずにはいられない人だ。書かずにはいられない人だ。旅や野宿をしながら発見しつながりコトを起こしていくていく人だ。

その日常の延長線上に、自身が編集長をつとめる「人生をより低迷させる旅コミ誌 野宿野郎」があり、「野宿入門」や「あたらしい野宿」など何冊もの著作がうまれ、「ノジュロック」が5回目の夏を迎え、100km歩く「野宿野郎杯」」や「0円ショップ」にも展開し、「お店のようなもの」という拠点もうまれた(詳しい活動は文末に紹介する本や媒体をご覧いただきたい)。

野宿のようなもの、本のようなもの、会社案内のようなもの、お店のようなもの…
断定せずにあいまいにすることでうまれる可能性と自由さ。見えてくる本質。
ちょくちょく発せられる「のようなもの」にかとうさんらしさの大部分があらわれているのかもしれない。

ともあれ、こんなにもリラックスして収録が進んだことは記憶にない。
どこまでもエンドレスにずっと話せる気がした。終わらせるのが難しかった。というか終わってもお店で話は続いた。

丸刈り頭にすらっとした容姿はピリッと凛としていて独特の浮世離れ感を放つ かとうさんだが、ひとたび話し出すと、つぶらな目をキラキラさせて、くったくのない少年のような笑顔でまわりを引き込む。まったく押し付けがましくなく、むしろ謙虚でゆるやか。上昇でも下降でもない。あの細いからだからかもしだす謎の包容力は不思議だ。どこでも生きていけそうな機転とたくましさもある。

しなやかなのにゆるやかにただただ漂う…..
あのたゆとう脱力感と余白感は何だろう?

恒例の100の質問コーナー。ここでもかとうさんの答えはYes ばかりを記録する。Yesの女王。「だってNoって言ったら、それで終わっちゃう気がするんで…。」こんなゲストはいなかった。おのずからこのコーナーだけで1H以上が楽しく起伏多めに経過していった。かとうさんはすべてが前向きなのだ。もしかしたら起こりうるかもしれないすべての可能性をわくわく楽しみたいのだ。

さてさて週休7日賃労働禁止の世の中は実現する日まで。

収録が終わったら無性に野宿がしたくなった。

by G

NUN podcast#24
「野に宿るようなもの」  ゲスト:かとうちあき


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我ながら野宿はやむを得ず仕方なくするものだと思っていた節があることを、
ミニコミ誌「野宿野郎」というタイトルに気づかされたのだった。
野宿そのものにあまり注目してこなかった人生・・なんたる不覚。

とはいえ自分も今までに仕方なく野宿(消極的野宿というらしい)をした経験がないわけではないので「うーんもはやこれまで、やむない、野宿しよう。」と覚悟を決めた瞬間に発動するスイッチがあるのは体験上憶えがある。瞬間世界線が変わる。世界を見る目が変わるのだ。野生の目覚めとでも言うのか、シングル盤のA面が急にB面にかわるというか、、美味い例えが見つからないがその得体のしれない高揚感をワクワクととらえ積極的に野宿を繰り返しているかとうちあきさんはとにかくその道の実践者なのである。
だから今回は自分が野宿についてどうこうと、あれこれ書くことはない。
なぜならかとうさんは何冊も書籍を出版しているから、、皆さんはそれを読めば良い。

編集長(仮)を務めるミニコミ野宿野郎をはじめ『野宿入門』『野宿もん』『あたらしい野宿』『バスに乗ってどこまでも』など、野宿に大変興味がある人も、全然ない人も、野宿してもしなくても読んでみると良いと思う。かとうさんの野宿愛とそのスタンス、哲学のようなものがふんわりと沁みてくるはず。
かの本は引きつ戻りつ、(いやそれではひたすら後退してしまう)
行きつ戻りつ、押し付けがましくもなく慎ましやかにゆるゆるとしかし
じっくりと確実に信念のようなものを持って民衆を野宿体験へいざない続けている。

日常と接続していながらすっと社会から漏れるというか圏外にはいるというか
そこから景色を眺めるゆとり、その心の在り方を自由さや気ままさとして享受することが
できるかできぬのか、そこが運命の分かれ道 、ボーダーで楽しむ醍醐味があるのかしらん野宿をポジティブに捉えることは自由であることを肯定する力なのかも知らん、などと分析したがる自分がいるが実際に会って話すとあまりそういう堅苦しいことは語ろうとしない感じがまたかとうさんの良さでもあるのだ。生の声を聞きたいヒトはポッドキャストでインタヴュー”のようなもの”を聞いてみてほしい。
質問コーナーではお店のようなもの1号店で石だけを売っていたことがあるという話を聞けたのは嬉しかった。石好きの自分は石の話だけで1時間はいける自信があったのでつい遠慮してサラッとススルーしてしまったのが悔やまれるが”石拾い野宿”という新しいレクリエイションの可能性もあるなと思い当たったのである。

今回読んだ「野宿入門」の中から個人的にクライマックスと感じたp68〜69のスバラシイ文章をを引用します。

・・・「野宿効果」はもちろんスバラシイところではあると思いますが、しかし違う、それだけじゃない。もっともっとあるはずだ!とうことで、いろいろ言ってみたいのですが、いまのところ説得力のある言葉を思いつかないので、思いついたらおいおい書いていきたいと思います。
とはいえ、万が一、これから読みすすめていっても、わたしがおもいついていないようでしたら、どうか行間から読みとったり、わたしが言いたいかもしれないことおもんばかって、かってに野宿の魅力を感じるような、努力をしてみてください。
「たいしたことがない」「ぜんぜん判らない」。どうか、そんなところからも、なにかしら魅力を感じとってみてください。それは、あなたが「野宿が愉しめる人間」、ひいては「なんだって愉しめる人間」になるための、訓練になるはずだからです。べつになりたくないやいっ、と言われたらそれまでですが、そんなことはしらねえ!

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まあくっきりしているのは、いつでも野宿はその門戸をを開いている。ということだろうか。やろうと思えばいつでもすぐさまできるし何よりタダ(0円)だ。地球はいつでも大盤振る舞いで寝床を提供してくれているしウェルカム状態だ。社会はどうだかしらないが、、やってみれば良いとおもう。かとうさんはいつでも手招きしている。

自分は久々にやってみようかという気持ちになっている。積極的野宿ははじめてだ。

そしてなぜかいつの間にか野宿を推奨する側になっている。。

by H

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◆関連URL
◯野宿野郎
 http://nojukuyaro.net/
◯かとうちあき X(旧Twitter) のようなもの
 https://twitter.com/kanegonn?lang=ja

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NUN NUN podcast#24
「野に宿るようなもの」  ゲスト:かとうちあき


【収録時間 : 150分】
2024.3.26  「お店のようなもの2号店」にて収録

かとうちあき

1980年、神奈川県生まれ。人生をより低迷させる旅コミ誌「野宿野郎」編集長(仮)。のようなものの実践所「お店のようなもの 2号店」店主のようなもの。著書に『野宿入門』『あたらしい野宿(上)』など。順調に低迷中です。