あかるい暗闇

ヒトの条件

感覚の総動員、ゆたかなイマジネーション

そもそも東北の田舎町で生まれ幼少から高校まで過ごしたので暗闇なんて日常茶飯事、そこらじゅうにあった。夏祭りの縁日の神社の裏。虫の啼くあぜ道。日没後の山道。お化け屋敷。仏壇のある夜の座敷。長い廊下。かっぱが出ると噂の井戸。暗闇は、なるべく避けたい行きたくないおっかない空間だった。

ところが上京後、昼夜なく24H体制で煌々とする都市生活が続くと、不思議なもので暗闇は渇望する存在に変わった。
なるべく暗闇や闇の多い国や町を旅先に選んだり、自分の舞台作品では、いつのまにか暗転や暗闇演出を多用した。ジェームス・タレルの南寺にも気持ちが高揚した。自称 “暗闇知覚愛好家”として・・・

そして、ダイアログ・イン・ザ・ダークを体験した時、その感覚はついに確信に変わった。

ダイアログ・イン・ザ・ダークは視覚障害者が過ごす日常感覚を暗闇の中を数名で歩きながら体験する時間。視覚障害者1名がナビゲーションしてくれる。
1歩くぐると、そこには微塵の光もない本物の暗闇があった。普通に前後左右がわからないし、しゃがんで這って歩きたくなる、先の見えない無力感に苛まれ急激に不安がよぎる。
しかし、その状況を視覚障害者さんの的確な声でサポートしてくれる。なんて暖かく頼もしいことか。明るい場所で聴くよりもこころなしか透き通って感度高く美しく聞こえる。当然みんな声がするほうに安心をもとめて進む。そしてファーストネームで呼び合い、自分の居場所を声で示し、声で状況を説明し、声で解決策を見つける。その暗闇ならではのコミュニケーションがなかったら生きていけないのだった。全くのふぬけだ。

しかしやがて、その知覚の混乱にも慣れはじめる。

いつもより多くの情報を人から受け取ろうと努力し、
いつもより丁寧な描写で視覚に代わる細かい情報を人に伝える。
いつのまにか会場内の草木の匂いや小川の音、虫の啼き声が鮮明に聞こえる。
他人の気遣いや、やさしいアドバイスにありがたみを覚える。
自分がどんな空間にいて移動しているかを全身のセンサーで鋭敏に理解する。
つまり五感をフルに使ってものごとを感じ伝えようとしている。

暗闇なのにあかるい・・・?
澄みやかであたたか、自由なイマジネーション

この包み込まれつつもひろがっていく感覚を、わたしは「あかるい暗闇」と呼ぶことにしました。

案の定、暗闇からいつもの明るい世界に戻って来た時
そこには見えすぎてイメージ力を減退させる暗闇よりも暗い空間がありました。