生ノ態【コト】

26:45からの見え方 02

ー 2023年8月 ル・アーブル ー 


「オーソン・ウェルズが言うように、もしハッピーエンドで終わりたければ、それは物語をどこで終えるか次第だ」1で始まる本を読み進めているうちに、バスは最後の大きな橋を渡り始めた。角度のついた坂を登り切り窓の外に目をやると、雨が降った後だからだろう、河岸に大きくはみ出した水が緑を舐めつつ幅広の川に似合った速度でゆったりと流れている。反対側の窓からは何キロか先に連なって聳え立つ無数の煙突と鉄塔が見える。海に流れ込む大きな川沿いによくある風景を見て、長らくこんな景色を目にしていなかったと思い至る。海に囲まれている日本とは違い、海に、特に川と海が交錯する土地に身を置く機会は内陸に住んでいるとそう多くはない。浦安近辺を流れる幾つかの川の側で十数年暮らして身についた海と川がある景色への情動みたいなものが蠢くのはこんな時だ。


ル・アーブル手前の大きな橋上から望む海とは反対の川上側の風景。パリから流れてくるセーヌ川

時折「日本が恋しくならないか?」と質問される場合がある。大抵は「ない」と答える。もちろん日本にいる友人や家族と直接会う機会がないのは寂しい。ただ質問の意図には友人や家族など必須の答えは含まれているので、それ以外の答えを探すとなると「ない」のだ。麺類や発酵食品など大抵のものは作れるし、熱湯をバスタブにはれば温泉らしきものも体験できる。でも、海はなかなか再現できない。こればかりは海際の街に住む以外味わえないのだ。だから説明する時間があれば、「海」と答える。では何故説明する時間が必要なのか?ここが先ほど述べた”景色への情動”への入り口だ。

柄谷行人の「漱石論集成」の中にʻ風景の発見ʼという項がある。この中で柄谷は、漱石や国木田独歩、正岡子規を、ポール・ヴァレリーやフロイトを立てながら、明治以降日本文学においてどのように風景が人物・事物の背景から脱して「発見」されたか、西欧絵画史においてどのように風景画が浸透し支配的になり内面化されていくかを説いている。独歩の「忘れえぬ人々」の一文を参照した後にこう述べている。「『風景』が孤独で内面的な状態と緊密に結びついていることがよく示されている。(中略)周囲の外的なものに無関心であるような『内的人間』において、はじめて風景が見出される。風景は、むしろ『外』をみない人間によって見出されたのである。」こうも言っている。「リアリズムとはたんに風景を描くのではなく、つねに風景を創出しなければならない。それまで事実としてあったにもかかわらず。だれもみていなかった風景を存在させるのだ。したがってリアリストはいつも『内的人間』なのだ。」

私が見ている景色は、認識論の例を出すまでもなく、確実に私が作り出しているものであり、同じ景色を見ていたとしても異なる景色が個人個人の内側に創出しているということであろう。その景色を味合う過程で過去を発見し現在との距離を測り、時間と共に排除された感情を発露させ、時には言語化して自己同一を図り、そのように内面化された風景を発見し対話をするのである。これから到着するル・アーブル近郊の工業地帯にある無数の煙突と鉄塔を見ながら私は、市川広尾にある24時間火の消えない煙突を、3/11に燃えていた千葉市原のガスタンクを、暴走族の多かった広島宇品を、川崎の物騒な港を、神崎川のゴテゴテして潮風と排気ガスが混じった背骨が曲がるような景色を私の中に見ていた。身体的反応が出るほどの景色を、全く文脈の違う風景を見ながら反芻し懐古して、新たな物語を創造していたのだ。

同時にこう思う。なんてつまらないんだ。新規の外的条件を全身の感覚で楽しむ嗜むことせず内的視点を優先するなんて、なんて無粋で鈍物で視野狭窄なんだろう。限りない内的世界と内的能力に依拠して風景を創造するなんて言えば聞こえは良いが、それは過去に存在した風景との対話とも並走する、極言すれば、自己中心的世界からの脱出困難性だろう。クレヨンしんちゃんことしんのすけ(いや、みさえだったか)も言っていた、思い出は大人の特権、という状況に陥らないように、過去の追憶よりも目の前に広がる未知で新鮮な体験を優先すればいいじゃないか。全身の毛穴と鼻腔を開き触覚を高め耳をそばだてて白目までをも用いて物事を見つめるような、そんな全身感覚を持てないのだろうか。だからといって、衝撃度を高めるすなわち過激な経験や状況を目の当たりにするという方法も安直にすぎる。しかし、もしかしたら、目前の情報に極度に傾倒するそんな安易な方法や表現が世に蔓延るのは、追憶主義へのアンチテーゼなのかもしれない。


ル・アーブルのあるパン屋。上段の4段は最下段のバゲットに挟む具材。バケットが湿らないよう注文を受けてから挟む

通りを歩く人々の歩幅が樹々の影と同じくらい鮮やかなプラハで始まった夏は、ここル・アーブルでは涼しい風によって終わりを告げている。セーヌ川がラ・マンシュに流れ込む地点にある港には日曜月曜を除いて漁師とその家族が店先に立つ魚市場があり、港湾労働者の力強い結束がマクロンの年金改革に反対するデモにおいて市内を走るトラムを一週間運行停止に追い込み、バンクラデッシュ人が浜辺でクリケットを楽しむベルリンでも目にしない姿があるここノルマンディーの港町。3日前にルーマニア・クルジュ近くの山の中で行った10日間の舞踏キャンプから戻ったばかりにも関わらず、ベルリンからパリまで13時間そこから再び3時間、”Gare du Havre”の標識を視界にとらえつつ揺れに揺られたバスの旅から降車すると液体のようになった地面を歩くには少しコツがいるように感じられる。

この街に来たのは、4月にフォルクスワーゲンの本社があるヴォルフスブルクで初めてコラボレーションしたダヴィッド・ブランドシュテッターに、バケーションがてら10月から始まる新しい作品の仕込みをしないかと誘われたからだ。前段の魚市場で新鮮な魚も購入できるというので出刃包丁も持参してきた。私以外にも彼の誘いに応じたのはトーステンとマックスことマキシミリアムの2人。計4人で各自の知識を共有する。スタジオはクラブマガ、空手、MMAの道場がある2階。広さ12mx12m、高さは5、6mあり、中央駅からトラムで1駅の位置にある。因みにトーステンとマックスは舞踊家でも振付家でもない。マックスはレイキとマッサージが組み合わされたようなセラピーを行う人物でまだ説明可能だが、トーステンはアクティビストでも言うのか、ダヴィッドの家で食事をしていても会話をしていてもすぐに瞑想を始め、口を開けば「コーディングされた人間を解錠しなければならない」とクォンタムヒーリングという初めて耳にする療法を例にとって現世を説明するような不思議な人物である。

コンタクトインプロビゼーションやメディテーションなどスタジオでの作業以外にも、鯵や鱸や鯖や鱈や魴䌸などを魚市場で鮭と鮪を魚屋で購入して寿司やなめろうやすり身団子を作るなどベルリンでは考えれられない程の新鮮な魚を毎晩堪能し、エトルタ手前の海岸で海に攫われかけるほど波に揉まれたあとは観光客に塗れ、共産主義がル・アーブルの街の建築物に及ぼした影響やコレオグラフィックセンターと街づくりの話を聞きながら街を歩き回った。因みにエトルタの海岸線を歩いて気づいたのだけれど、Netflixのドラマシリーズ”Lupin”で主人公の息子が誘拐された
場所だった。調べてみるとアルセーヌ・ルパンの作者モーリス・ルブランはあの石灰で出来た岬を背景にして「奇巌城」を執筆したんだという。読んでから30数年あの奇巌城の舞台を実際に歩いたのだと考えると感慨ぶか、くはない。思い出の特権の罠に簡単にひっからない程度には捻くれている。


エトルタの海。毎年何人も滑落死しているから岸壁には近づくなと言われた道を観光客は気にせず行く

ベルリンに帰る前日、最後の晩にマックスがセッションをしてくれるという。私の身体の中にダイブするのだ。ソマティックムーブメントという言葉を用いて行うそれは、厳密に言えば最終日2日前にも60分ほどやってもらったのだが、「完了していない、後120分必要」だという。ダヴィッドと夕食を一緒に作っている途中に、ダヴィッドのパートナーであるマルグヴェンのセッションが終わった。「私は45分って言われて120分だったから、あなたは4時間ね」。それだと夕食が夜中の12時になってしまうが、そんなにかからないだろうし空腹時の方が都合が良いだろうとセッションを始めた。カイロプラクティックや整体など骨格をいじる以外に、肩を揉むなどマッサージの類は金銭を支払ってもらってでも受けたくはない。そんな性とも相まって、結果からいうとマックスのセッションに対しては今でも懐疑的だ。しかし彼のセッション、マッサージという範囲には収まりきらない施術、身長2mの男が胸の上に乗って苛烈なまでに呼吸を要求し、仰向けになった状態で骨盤を引き上げて慢性的な腰痛と対峙させ、「リラックスして」と言いながら様々な質問を浴びせる、などを私への挑戦だとみなして引き受けてみると、実験的な経験ができたと考えられる。ダヴィッドが言うには途中私の胴体は今まで見たことがないほどグニャグニャに動いていたと言うし、トーステンによると止めに入ろうとか思うほどの激しい施術だったがマックスは一時泣きながら手を動かしていたと言う。マックスにそのことを尋ねると、君の胴体は悲しみに満ちていた、と言う。私はそんなことを微塵も思わないけれど、彼の中では私の身体との直接的物理的接触を通じて、涙が溢れるほどのセンセーションとエモーションを得たのだ。接触された側の私からすれば”勝手にでっちあげた”とも言えるが、本人には認識できない悲しみを他人が感じる場合もあるし、大っぴらに見せるものでもないという社会通念が蔓延る世の中で流れ出た涙を無視もできない。そうなると彼の中で真なるものもしくは真に近いものが生まれたと考えざるをえない。そして、悲しみという言葉と涙が結びついた時に物語が起きないと考えることはとても難しい。

パフォーマンスをしていても5分刻みで時間経過を知る私も今回は全く時間感覚を失っていた。確認すると120分経過していた。セッション後もしばらくの間は、美味しそうな香りを放つ夕食を口にすることもできず水を口に含む程度。翌日も目が覚めた後にしばらくうずくまって動けないほど胸に痛みが残った。帰りのバス車中でも空腹になると胃がキリキリ痛むなどこれまでとは全く異なる身体反応が出てきた。前述した景色=内的創造とは異なる、未知の内的反応を導き出したセッションであった。
ハッピーエンドで終わることにこだわりはないけれど、オーソン・ウェルズがいうことには一理も二理もある。物語は内的に、それも心理的や身体的にいつでも創出され、私たちは常日頃それを味わっている。夏は終わった。この言葉だけでも物語を創出する力を持っている。どのように物語に区切りを付けるかもしくは始めるかは、私たちそれぞれの意志による。

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そういえば、今回パリに立ち寄った時に、前回書いたラーメンなりたけに行こうと Google Map を見たらば閉店となっているじゃないか!どうしたの?どうなってるの?教えて誰か!
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もう一つ前回との繋がりでいえば、ヴィンセント・ムーン。一昨日偶然ここベルリンで会って誘われて彼のパフォーマンスを見たのだけれど、ここ10年で見たどの映画よりも音楽よりもダンスよりも良かった。もし彼の生演奏を見られる機会があるのなら見逃さないで!

古谷充康

振付家、ダンサー、パフォーマンスアーティスト
舞踏技術と実践を基盤にして、必要性、可能性、偶発性を包含する動きの語彙を開発して表現することを試みている。身体や物体が重力にどのように適応しているか、またその均衡を破るために空間にこれらの事物を配置することに興味を持っている。日本大学芸術学部で演劇演技を学び、HZT BerlinにてSolo/Dance/Authorship (MA SoDA).を修了。

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