生ノ態【コト】

松澤宥がいた

松澤宥生誕100年祭 - 下諏訪編

松澤宥生誕100年祭
諏訪湖博物館・赤彦記念館/その他のまちなか店舗・施設
2022年1月29日(土)〜3月21日(月・祝)

正直言って松澤宥のことをよく知らなかった。今年生誕100周年の展示が長野であることも知らなかったくらいで、妻がこの展示が気になると話していたのも何かの作業をしながらうんうんと聞き流していて、諏訪方面に行く機会のついでに諏訪湖畔にある展示に立ち寄るスケジュールを決めても、下調べもしていなかった。映画もそうだが予備知識が無い方が驚きや発見が鮮やかなので、流れに任せてわざと情報を入れないで行くことが多いのだ
(無為であることの恩恵を信じているとも言えるが、ただの怠惰かもしれない)

この日のメインの用事はCella MASUMIにて開催されていた田代敏朗展「INTROSPECTION」で行われた山内悠とのトークイベントに行くことだった。
その手前に是非ということで同行のtomokoさんに車で連れて行ってもらったのだ。

展示会場の赤彦博物館入り口には垂れ幕、「人類よ消滅しよう 行こう(ギヤテ)行こう(ギヤテ) 反文明委員会」 とある、インパクト大。

一番大きな部屋、まずは黒い紙に描かれた大きなパステル画が印象的だった。こんな大きな紙に描いたパステル画(しかも抽象画)は初めてみた。そして写真や当時の出版物、だいぶ時がたった現在でも、色褪せることのない結晶化した言葉がそこにあった。
概念やアクションの痕跡やスローガンを見るにあたり、同じ信州でワタシが生まれる何年も前にこんなことをしていた人がいたのだなあとしみじみと感じいる。
個人的に興味の尽きない縄文への憧憬や御柱祭りにつながる諏訪地方特有のエネルギーに関して松澤宥氏はかなり強く意識していたであろうことが活動記録から読み取れた。

こうした展示は時代の空気感、歴史的背景などは年表や写真でなんとなくうかがい知る事はできるのだが、この場所にあるものはただあったことの記録に過ぎないからリアルな息吹や、全体的細部までは到底 見渡せはしないのだという実感と、もどかしさは常にともなうものなのだが(今思えば博物館だから余計そう感じたのかもしれないが)ただ自宅でギルバート&ジョージとこたつで寿司をつまむ写真がなぜか印象に残った。

動画で収められたψの部屋

展示の中で特に度肝を抜かれたのが動画で収められたψの部屋だ。
氏の脳内に展開した思考の軌跡をそのまま権現させたかのような超絶カオスのコスモロジー曼荼羅とでもいうようなψの部屋(氏のアトリエ)の様子を収めた映像だった。見る人によっては一見ゴミ屋敷かリサイクルショップの倉庫にしか見えないかもしれない渾然とした空間内部が延々と映し出されるドキュメント映像だ。

1964年に「オブジェを消せ」という啓示を受けて以来、言葉による表現に移行し概念芸術を提唱したといわれる氏の記憶のライブラリーのような場所なのだろう。あまりの物質の質量に圧倒されながらも、すべてが途中のままなげだされたような混沌とした制作環境に身をおいている自分としてもシンパシー以上のものを感じると同時にあぁ自分なんてまだまだ、、まだまだだなぁ、、と愉快な気分になり、同時に魂が浄化されたような気がしたのです。

この部屋が近年まで存在して保存され、老朽化に伴い建て壊しする前に映像記録されこの度我が目に触れたということ自体が一つのミラクルで、この部屋に感応し価値を理解し保存・記録にご尽力された方々の仕事には感謝しか無い。
ご自身が生きたこのフィールドでこういう展示(祭)が為されたこと、それを起こした人の動きを松澤氏も喜んでいるように感じました。
今回、概念と物質/土着と宇宙 のあわいで考え、遊び続けた大先輩がいたことを知れたことは大きな喜びでいまさらながら県立美術館での展示を見れなかったことは残念でしたが、それでも最終日にこの地に来て展示を観れたことはひとつの事件で、なにかの導きがあったとさえ感じたのです。

人類は未だ消滅しておりませんが ワタシの心のどこかにプサイの部屋が記憶されてしまいましたので消そうとしてももはや消えそうにありません。
いざ 行かん 行こう 行こう 

※このあとに行った田代敏朗と山内悠(二人とも下諏訪周辺にアトリエを持つアーティスト)のトークイベントも現代の表現に関わる人間の息吹を感じさせるリアルで濃密な対談だった事を付け加えておきます。

by H
関連リンク
松澤宥生誕100年記念サイト
https://matsuzawayutaka.jp/